以下は、昭和60年に小学校3年生以上の「郷土学習の副読本」化をめざして作られたものです。
残念ながら、採用はされませんでしたが、当時のシロヘビを知る貴重な資料になると考え、
掲載することにしました。
掲載するに当たって、当時の資料をOCRで読み込みhtml化しました。
誤字脱字等が多数ありますが、ご了承ください。

岩国のシロヘビ

目次
1.シロヘビ
2.野外での活動
3.シロヘビのエサ
4.脱皮
5.種族のほぞん
6.病気について
7.市内の生息分布の様子
8.子ヘビの人工飼育
9.シロヘビ飼育施設
10.野外で見られる様子あれこれ
11.老婆(明治31年生まれ)の話
12.シロヘビのみなもとを考える
13.シロヘビの新しい観覧施設
あとがき
シロヘビ研究会

指導協力
岩国市教育委員会

編集委員
岩崎利夫 木村秀行 田村隆史 中部康典 長光史記

昭和60年1月31日
岩国のシロヘビ

編集・発行 岩国シロヘビ研究会
1.シロヘビ
 日本にはアオダイショウやシマヘビ、それに毒を持ったマムシなど10種類ほどのヘビが生息しています。シロヘビは、これらのヘビのうち、アオダイショウの皮に、色素細胞のない変りもので、色の白いことが、遺伝するようになった、ヘびです。
(1)色
 色は、おおよそ白色ですが、実さいによく見てみると、黄色を帯びたものと、白色のものとに分けられます。しかし、純白色のものは数が少ないようです。生まれたたはかりの子ヘビはうすい黄色味を帯びたかっ色で、見た目には、うすい赤色からピンク色を帯びた半とう明の白色をしています。.目の色はすべて赤色です。
(2)体かく
 シロヘビの体かくは、生まれたはかりでは、体長37p〜47pで、ふつう43pぐらいです。.体重はおよそ13g〜21gで、平きん17gぐらいです。おとなになったヘビでは、太っているものと、やせているものがあるので、体重は、さまざまですが、重いもので、およそ1400gあり、ふつう1000gぐらいです。体長は、大きいもので180p〜190pで、なかには、200pをこえるものもいます。

(3)オスとメスの区別
 オスとメスの区別は、性器官をみればわかりますが、外見で区別するには、尾(シッポ)の形のちがいをくらべます。
 オスは、男性器を尾の方にし尾の部分(オスとメス)まいこんでいるので、こう門より先の方が、メスにくらべて太く、メスは、どう体にくらべて尾が、やや細くなっています。

(4)シロヘビの区別
 シロヘビの観察や研究をしたりする時に、どのシロヘびも同じ様に見えるので、区別をしなくてはなりません。
 そこで、以前、山手町の屋外し育場では、ヘビのおなかのウロコを、こう門から頭の方へむかって、左側の何番目、右側の何番目というように切り取って記号化し、印をつけました。
 最近では、学者の研究によって、それぞれのヘビは、ヒタイから頭の部分のウロコの形や大きさ、ならび方が、少しずつちがい、それらの区別からでも、どのヘビかが、わかるようです。
2.野外での活動
(1)活動のようす
 シロヘビは、一日中いつも外に出るわけではありません。むしろ、外に出る時はあまりありません。ふだんは石あなの中などでじつとしています。では、野外に出て、何をするのでしょうか。
 最もよく見られるのは、石の間、ワラ屋根の上やすき間、木小屋の天じょうのはりで、じっとしているところです。春なら日光よく、夏では、暑い日差しからのがれている様に見えます。時には、おなかを大きくしているものもいますから、食後の休けいといったところでしょう。
 それ以外にも、いろんな所でいろいろな様子が見られます。木の枝の上に乗っているもの、水の中を泳いでいるもの、草や木の間をぬって動くものなど、さまざまです。とくに目をひくものとしては、エサのネズミにかみつき、まきついてしめ殺そうとしているものです。
 これは、野生(自然の中)ではなかなか見ることはありませんが、し育場では、エサを運び入れるとすぐ目につく光景です。
 また、水面に口を近づりて、水を飲むこともあります。
 ヘビがい動する時のとく長は、体をしばふや草などのひっかかりのある物に乗せる様にしてい動していく、いわゆる蛇行という運動です。
 この曲がりくねったヘびの体のい動の形を、社会科の学習などで、川の蛇行現象などとして.おう用されてつかわれています。
 そして、わすかなひっかかりを利用して、体をささえながらうまく上に登っていきます。
(2)野外で見られる季節
 シロヘビま、変温動物ですから、寒くなると冬みんします。冬みんの時期は、ヘビによってちがいますが、ふ通の場合、11月末から、2月の末までぐらいです。3月はじめのあたたかい日には、ぼつぼつと野外に出はじめ、4月・5月とあたたかくなるにつれふえはじめ、6月には最も多く野外で見られます。
 それから、7月・8月・9月・10月までの5ケ月間が多く見られる時期で、この時期にだっ皮をしたり、産らんしたりして、9月に子どものヘビがたん生してきます。しかし、8月の30℃をこえるような暑い日には、外には出なくなります。
 11月になると、だんだん野外で見られる数は少なくなってきて、12月ではあたたかい日に、わずかの親ヘびがみられるものの、ほとんどは、その年に生まれた子ヘビのようです。
 しかし、1月から2月の冬の間でも、.時として1〜2ひきの親ヘビがのっそりと屋外はい出して日光浴をすることがみられますが、病気のヘビのようです。
 だが、これらは例外で、まず、ほとんどが冬みんします。
(3)気温や地温での活動との関係
 野外に出てくる場合の最も低い温度は、記録では、晴れた日の6〜7℃ですが、動きはにぶく、ゆっくりしています。トグロをまいているものもたまにはみられます。
 よく活動するのは、15〜30℃の間で、とくに25℃前後ではとても活発で、水に入ったり、動きまわったりします。
 15℃以下でも野外に出ますが、あまり動かず、動いても、ゆったりしているし、見られる数もわずかです。
 また、30℃をこえると、日かげや岩穴などでじっとしていることが多く、日の当たる所にはすがたを見せません。時々水を飲みに出るくらいです。
 地温は、年間を通して、気温のよう.に最高と最低の温度差はなく、昭知49年度の記録では最低が3月の13℃、最高が8月の26℃で、その差13℃ですから、そのはん囲も10℃以内であると思われます。活動と地温との関係は少ないと思われます。
 むしろ、水まきをすると、石がきから出てくるので、風通しや、しつ度が関係しているように思えます。
(4)天候と活動
 はじめにものべた様に、シロヘビは、30℃をこえるような暑い日には、外に出ず、むしろ25℃前後で活発に動きます。そして25℃前後では、天候はあまり関係なく、くもりや雨の日にも外に出ます。
 ただ、雨の日には、晴天の日にくらべて、やや少な目で、とくに気温の低い雨の日には、ほとんど石がけのあなの中で、じっとしています。
 ですから、けい向としては、雨天より晴天の方が、外によく出るということが言えます。
 しかし、天気のわるい日でもし育場に、エサのネズミをもっていくと、ぞろぞろと岩あななどから出てきます。だから、天候よりも気温や、エサの有る無しに.よって、外に出て活動するようです。
(5)冬みん
 変温動物であるシロヘびは、気温が10℃ぐらいに下がると、活動がゆるやかになって、冬みんに入ります。冬みんの場所ま、岩と岩とのわれ目(岩かべの内側のすき間)で、氷点下に下がらない温かさをたもてる場所です。また、水などができるだけ入りこまないことも条件です。
 子ヘビの観察記録(冬みん状たい}では気温が10℃に下がるまでは、たくさん食べていたエサの量がへり、10℃以下では、自分からはエサを食べず動かなくなります。これが冬みんの状たいです。
 また、.山手街の旧シロヘビし育場のとりこわしのさいには、木造の小屋の土台となっていた岩かべのすき間に、小〜中ヘビが30ひきぐらい見つかりました。
 その小屋の土台と半球じょうの岩山を結ぶ岩のトンネル内の岩間でも、冬みん状たいの親ヘビがいました。
 冬みんの状たいは、たいてい数ひきが集だんでまるくかたまっていましたが、一ひきだけのものもいました。岩山をくずす時には、少しだけは動きますが、野外で見られる時とは、くらべものにならないほどおだやかで、まさに、死んでいるか、ねむっている様で、人間の手で、すぐとらえられました。

 最も多くのシロヘびが冬みんしていた場所は、半球上の岩山内で、岩かべのすぐ内側でした。
 その場所は、外からは、かなり近いものの、岩かべで囲まれていて、地表面からは、やや高くなった部分で、冬のきびしい寒さから守られ、わずかなしめり気があり、そのしめり気をたもてると思われるところでした。
 また、人間の手で冬みん状たいを打ちやぶるわけですから、このし育場のとりこわしは、冬みんに入ったちょく後に行なわれるなど細心の注意がはらわれました。
3.シロヘビのエサ
 ヘビはカエルをひとのみにする・・・ということがふつうといわれていますが、ヘビは種類によってエサがちがいます。
 シロヘビは実さいにエサとしては、カエルのほか、ネズミ、小鳥とそのたまご、トカゲやこん虫などで、せぼねのある動物なら何でも食べ、それも、生きているものを、このんて、死んでいるものはあまり食べません
(1)ネズミの食べ方
 エサをとらえる時はそっとそばに近づき、目前でえものにとびつき、するどい歯でかみついて、自分の体をまきつけてしめころします。それから口の中へゆっくりのみこんでいきます。自分の口よりも大きなものなら、アゴをはずして、より大きな口をあけて飲みこみます。
 生まれたばかりの子ヘビは、1ケ月間ぐらいは、何も食べないでも死にませんが、(よく年の春まで、水があれは生きています)生後一週間ぐらいで、小さなネズミを食べることができます。
 たん生後1〜2ケ月後に冬がきて、冬みんしなけれはならなくなりますが、冬がくる前までの1〜2ケ月間に、寒さにたえて、えっ冬するのに十分な栄養をつけられなかった子ヘビは、春になってもエサを食べないで死んでしまいます。
 親のヘビは、白ネズミの他にウズラやそのたまご、カエル、にわとりのたまごなどをよく食べますが、生まれたばかりの子ヘビは、食べることのできないものが多いので、以前から子ヘビのエサの研究をしてきました。
 人工し育では、ウインナーソーセージを細かく切ってあたえると食べるものもいました。また、ピンクマウス(生まれたはかりのネズミの子)を食べるものもいました。しかし、食べても、なかにははき出すものもあり、それらは体力が弱まり、生き続けることがむつかしくなったりすることもあります。それで強せい的に、ニワトリのササミを食べさせたりして体力をつけました。
 エサをとるのは10月中ごろまでで、11月に入ると食べなくなります。
(2)ニワトリのたまごの飲み方
 シロヘビがニワトリのたまごを飲みこむ様子ですが、たまごはヘビのノドを通りすぎると、自然にわれて体の中に入っていきます。
4.脱皮
 ヘビの仲間は、古くなった皮巻ぬいでは、そのたびに大きくなり成長していきます。いつごろ、どこで、どのようにして皮をぬぐのでしょうか。
(1)脱皮の前
 シロヘビによってもちがいますが、1ケ月〜6ケ月に1回のわりあいで脱皮します。脱皮の前には、体表面(一番外側)の古い皮がかたくなり、その古い皮の下に新しい皮ができます。2つの皮の間にリンパ液というものが出てきて、古い皮がぬぎやすくなります。
 脱皮する数日前の体の色は、白っぽくて、つやがなくなりり、目には、白いまくができて、目の色が白くにごるように見えます。また、その時は、目がよく見えないようです。
 また、脱皮の前には、水の中に入って、脱皮しやすくすることもしばしば見られます。
(2)脱皮の場所と順序
脱皮のはじめは、まず、上下のくちびるのところの古い皮を切りはなして、草や木の枝・ワラや岩の角などのひっかかりのあるものにひっかけておいて、頭部から、ゆっくりとぬぎ始めます。
 古い皮は、内側と外側がうらがえしになります。頭から体の3分の1ぐらいまでは、ゆっくり、ゆっくりぬぎますが、後半は、あんがいと速くぬいでいき、最後の尾の部分は、すぐぬげます。
 脱ぎはじめから終わりまでにかかる時間は、ふつう、15分から2O分間ぐらいですが、長いものでは30分以上かかるものもあります。
(3)脱皮の季節
 脱皮は、5月ごろからはじまり、8月〜9月が最も多くみられます。そして、10月に入ると、成蛇の脱皮は、とても少なくなります。幼蛇の脱皮は誕生後一週間目ぐらいまでに、1回目が終わり、その後9月〜10月に脱皮して、冬眠に入ります。
 脱皮は、蛇にとって、とても大切なことで、脱皮できないものは、大きくなれないわけですから、死んでしまいます。
 また、健康状態のよくないヘビの場合は、スルリときれいに脱皮できず、時間をかけたうえに、ちぎれた古い皮を尾の部分などにつけているものもいます。
 脱皮したてのヘビは、エネルギーをつかいはたした感じでじっとしています。その間に外敵におそわれてはいけないので、脱皮は夜明け前に行なわれることが多いようです。
 シロヘビのぬけがらは柔かくしかもアリの好む分秘物が多く付いているようで、すぐにたくさんのアリがとりつき、やがてボロボロにしてしまいます。そのため、頭部から尾部まできれいに脱けたものを採取できることは、あまりありません。また、時には.脱皮し終えたシロヘビの体にアリがたむろすることもあります。そのような情景に出くわすと思わずシロヘビに味方したくなり、アリが憎らしくなるものです。
 昔から、ヘビのぬけがらはお金がたまるといわれていますが、とくにシロヘビのぬけがらは、珍重され、サイフの中に入れると、お金がたくさんたまるとも、危険から身を守ってくれるともいわれてシロヘビのぬけがらを求める人も少なくありません。
5.種族のほぞん
 きびしい暑さの残っている9月に入ると、うすいピンク色をした生まれたはかりの子ヘピが野外で見られるようになります。
(1)結こん(交び)
5月から6月にかけてのあたたかい日には、2ひきが重なりあったり、おたがいが、まきつきあったりしているすがたを見ることがあります。その様子はとてもむ中になっていて、人聞が近よっても、全く気づきません。
2ひきの様子は、それぞれの頭とおが同じ方向で、ほとんどの揚合、まきつきあい、はやいかおそいかのちがいはあってもたえず、波打つように動いています。動きを止めることは、わずかの間です。とくに、おのあたりをからませているのが目立ちます。
 そのような状たいが、およそ2時聞から、長い時で、5時間ぐらい続きます。その後オスがしまいわすれているヘビがあって、“ヘビに足があった”と、大さわぎになったこともあったそうです。
(2)産らん
 シロヘビのたまごは、ややだ円形をした長まるいまくらの様な形です。大きさは、平きんすると、長けい5p、短けい2.5pぐらいです。
 重さは、およそ20.5gぐらいがふ通です。
 色は、白色で、かたさは、ニワトリのたまごほどかたくなく、だんりょくせいのあるややぶよぶしたものです。
 産らん場所は、かなり自然じょうけん(水分が多く、しっ気のたかい所)のよいところで、山手町の旧飼育場の取りこわしたさい、多数のたまごのからが発見されました。
 それは前のぺ一ジの写真の岩山および、内部(図)のように、地上面から高さがおよそ1mぐらいのところに、数こから十数こずつくっつき、集まった状たいでやぶれたたまごのからが、散ざいしていました。
 たまごのからの集まっていたそばの岩は、とりこわしのさい、すぐかわくぐらいのしめり気がありました。また、岩山は、下の方にはすき間がありますが、上の方は岩かべとなっているので、ぬくもりと、しめり気をたもつのにとても良いと思われました。
 そこで見つかったたまごのからは、かなり古いものから新しいものまでありましたが、ほとんどたん生のさい、完全にやぶれて、数は不明でした。しかし、ふ化しないで死んだと思われるものはなく、すべて、ふ化したと思われました。
 後日、たまごのからの表面の色(しんせん度)により、昭和48年度と、47年以前のものに分けた結か、48年度では、およそ60こかくにんでき、それ以前のものは、全部で150gあり、1こがO.6gとしてけい算すると、およそ250こぐらいと思われます。
ただし、古いほどこ数のはん別はできないし、たまごのからのすべてを集められなかったので、およその数です。
 産らんする時期は、結こん(交び)後、およそ1ケ月半後で、6月から7月にかけてです。生む時間は、早朝から午後3時ぐらいまでいろいろですが、5時間以上かかるそうです。
 また、卵が生めるのは、生後3年目からで、ふ通120p以上の体長になると生み始め、150pのものがよくうみます。生む数は1ひき4こから17こで、平きん9こぐらです。
(3)シロヘビのたまご
 6月から7月にかけて、シロヘビはたまごをうみます。
 その1例として、7月29日に11このたまごが生れたものを、人工的にふ化させました。(実さいに子ヘビが生れたのはその内6ぴきです。)
 たまごは、1こ1こに分けてパットの中に水取紙をしき、水を少し入れ、ガラスぶたをし、成長していく様子を見ました。たまごの重さは21,17g
8月18日には22,42g
8月31日には23,58g
 たまごは成長すれは、重さが重くなるのです。その様子は1ケ月後には16パーセントもぞう加したものもありました。
 また、たまごは、ニワトリではたえずまわしてそだてるそうですが、ヘビのたまごは、生まれたままで、それを上・下をかえすと、成長しなくなるそうです。野外でヘビがたまごを生みっはなしにしていても生まれるのはそのためです。
 なお、ヘビのたまごは、ヘビのはらの中で、たてにならんでいますので、さわってみればいくつのたまごをかかえているかが、だいたいわかります。
(4)たん生
 子ヘビが初めて野外で見つかるめは、9月からです。たまごを生んでからおよそ2ケ月後です。しかし、観察していると子ヘビの脱皮したぬけがらは、それ以前にも見つかるので、最初のたん生は、8月下じゅんと考えられます。それから9月末ごろまで次々に生まれていきます。生まれたばかりの子ヘビが野外で多数見られるのは9月下じゅんですから、たん生は9月中じゅんがもっとも多いようです。
 1ひきの親ヘビから、何ひきぐらいのわりあいで生まれるかということですが、昭和49年度の記録では、120p以上のオス・メスあわせて35ひき(内メス19ひき)で、81ひきの子ヘビが発見されました。
 ですから、1ひきのメスから、およそ4ひきのわりあいで1生まれることになります。ふ化する時、子ヘビはだん力のあるじょうぷなからをやぶらなけれはなりません。そのため子ヘビには上のあごの先に「卵歯」とよぶ歯が1本はえています。子ヘビはからの中から、力いっぱい首をのばして左右にふると、卵歯でからがさけて、子ヘビは首だけ出して数時間、長い時は2日間もして外に出ます。卵歯は2日もするとぬけ落ちるそうです。
6.病気について
 昭和47年ごろから、シロベビの体表面がかんそうして、カサブニタないしゴブじょうのものができました。この病気は親ベピ・子ベビの両方に発生し、どんな原因で起こる病気か不明な点が多く、せん門家に原いんの究明などをたのみました。その結かは、次の通りで、親ヘビと子ヘビの病気はちがうものでした。
(1)子ヘビの病気
 子ヘビの体表面のカサブタは皮ふにできたももので、かんそうして、脱皮がむつかしくなるものでした。しかし、ひどいものになると、部分的には体の中まで病気が進むことがあると言うことでした。
原因は、栄養失調などにより、体の内ぞうのていこう力が弱り、血液のバランスがくずれ、脱皮後のまだ弱い皮の表面にダニがつき、そのさし口から、カビが発生した物でした。
 この病気には、栄養をつけるため、しっかり食べさせること。飼育場内のかんきょうをよくすることがせん門家の意見でした。
 また、飼育場が新しくなった時、クモが大発生しました。その時クモはダニを工サにするのではないかと、せん門家に聞きましたらそれは考えられるとの報告でした。屋外ではたえずバランスがたもたれているのですが、小さいし育場ではそれが無理なので、ダニがマウスのエサとともにもちこまれて発生したのかもしれません。
(2)親ヘビの病気
 親ヘビに発生した体表面のゴブの病気は、死んだヘビをかいぼうしたようすが、次のように報告されました。
 一見ガンのように見えますが、ガンではなくコブの数は多いものの、あまり大きなものはなく、ブドウのふさのようにつながっいて、小さいコブは1こですが、大きいものは数をふやします。コブは、体外から見えますが、体の外側よりも内部の方が大きく、多数出来ています。そしてひどいものではほねにくっついていて、せなかやはらへ転いしていきます。
 このコプは生体内にい物が入り込んだ時にでき、そのい物を体外へ取り出す役目をもった物だそうです。
 病気の原因として考えられることは、栄養のバランスや日光よく不足、子ヘビの時の病気などにより、ウィルスや細きんが皮ふときん肉の間に入り込んで、ていこう力の弱い場合に起こると言うことです。
 ですから、栄養のバランスやエサの量、し育場のかんきょうを良くすることが大切であるとされました。

7.市内の生息分布の様子
(1)生息地区
 昭和46年から昭和59年までめ地区別ほかく数で、最も多いのは麻里布地区・今津地区・川下地区、それ以外にも岩国地区や三笠地区・川口地区・立石から装束町にかけての地区・数は少ないものの牛野谷地区があります。
 ですから、市内全体の住宅地区に生そくしているということがわかります。
 また、数の上で、とくに麻里布地区に多いのは、むかしら住みついているものはかりでなく、きゅうし育場からにげ出したものが、民家などに住みつき、成長したものと考えられます。次に、川下や今津地区などに多いのは、戦さいをまぬかれたむかし作りの古い家が多く、倉庫や石がき、水路などの岩の間など、シロヘビの生息じょうけんのよい自然やかんきょうが、最近までかなり残されていたからと思われます。.
(2)生息場所
 生息する場所の1例として、川下地区の中津町の場あいの様子をみますと、昭和58年4月に古い農家をとりこわし、新しい住宅を建てたのですが、その7年前に、たん生後間もない子ヘビを発見しました。それは庭にある五葉松に登っているシロヘビのすがたでした。急いでカメラにおさめました。
 その農家は、ねおきする家屋と、むかしカイコをかっておられた別むねがありました。また、カイコをかう別むねには、サツマイモなどをほぞんする地下倉庫(あなをほり、岩を組んで作ったもの)もありました。
 昭和20年から30年にかけて、天じょうのはしらの上などにシロヘビがのぞいているのをよく見かけたということでした。以上のことから考えると、ネズミやヤモリなどのエサがたくさんあり、しかも、てきとなる動物がいないで、生ぞんに都合のよい民家に住みついた子孫であったものと思われます。この数年間のシロヘビ発見ほかく場所は、庭、かきねの下、しばふの上など、ほとんどきまっています。また発見されとらえた場所を見ると毎年同じ地いきにかぎられているようです。
 このことから考えてみると20〜30年は生きているといわれるシロヘビが、一定の場所(家)に住み、毎年、子ヘビを生むと思われます。
 反対に、川下や今津地区では発見される範囲がひろがっているようにみられます。これは、むかしから自然にい動していったのかもしれません。また、人の手によって運ばれたと思われます。
 ともにいえることはシロヘビ.の生息しているところは、古い家や近くに水のあるところ、石がきや土べいのあるところです。
(3)生息数
 岩国市内でのシロヘビのほかくは、市民が発見し教育委員会へ連絡して、係の人がとりに行くこともありますが、.ほとんどの場合、市民がつかまえて、持ちこまれます。教育委員会社会教育課では、発早(ほかく)日時・発見場所(住所)、発見場所の様子、体長、
つかまえるか、そのまま放置するか、発見者の住所や氏名などを記録します。
 昭和46年からの発見しつかまえた数は、次の通りです。

 この表で、昭和49年度と52年度には、山手町のきゅうし育場からにげたものが、かなりいたことを差し引いても、多く発見されつかまえられていることがわかります。その後は毎年、10〜20ひきぐらいで、極たんな変化はありませんが、民家に住みついて、人間と生活を共にしているシロヘビが、しだいに少なくなっていることにはまちがいないようです。
 昭和59年では、し育場内でかわれているものが、約220ひき自然に生息しているもの約200ひきぐらいと考えられていますから、およそ400ひき前後が市内の生息数と思います。

8.子ヘビの人工飼育
シロヘビが住んでいる地区は、昭和50年以後、急速に都市化が進み、田や畑に住宅が建ったり、道路をアスファルトでほそうしたり、石がきやみぞをブロックやコンクリートでかためたり、古くなった家を建てかえたり、しゅう理したりしています。
 また、合成せんざいや農薬が使われて、エサとなる小動物が住める自然が大変に少なくなりました。
 とくに、生まれたはかりの子ヘビにとっては、身近に工サがなくなってきています。
そこで、何とかして、子ヘビを人の手で育てて、シロヘビが「トキ」の様に地上からほろんでしまわないようにしようと努力されてきました。
 岩国市では「日本蛇族学術研究所」や学者にお願いして、子ヘビのエサやいろいろと研究してきました。市内でも「白蛇研究会jや「シロヘビ保存会」を中心に、研究してきました。
(1)山手街し育場での観察・研究
 ふつラ子ヘビは、ネズミの子、トカゲ・ヤモリ・こん虫・小鳥のたまご・アマガエルなどの小さい動物そ食べると書われていました。しかし、体長40pぐらい、体重16グラムの体で、自分よりあまり大きいものは、口に入れられません。し育場内にも、エサとなりそうなさまざまな動物が見られました。それは、次の表にあげたものです。
 これらのうち、自然に食べているのが観察されたのは、ネズミの子だけでした。
 一度、エサを食べたものは、体力をつけ、次々とエサを食べて成長していきますが、自分で食べられないものは、体力が弱まり死んでしまいます。そこで、人の手で強せい的にエサをあたえます。
 昭和49年ごろ白蛇研究会の子ヘビのし育方法は、まず子ヘビをし育ばこに入れます。はこには、底に新闘紙やザラ紙をしき、時々とりかえます。その上に、す焼きの植木はちをさかさまにして置き、その一部を欠いて出入口を作ります。エサは、ピンクマウスやソーセージを小さく切ったものを置きます。自分で食べたものは、その後は、自分から食べますが、食べないものには、ニワトリのササミを5o〜1p四方ぐらいに切って口に近づけます。口の中に入れたら大じょう夫ですが、なお食べないものには、むりに食べらせます。
 まず、かた手で口の両へりを軽くおさえて口を開かせ、ピンセットにはさんだササミをくわえさぜ、少し、のどのおくまで入れてやります。この時、口の中をきずつけないよう注意します。次に口の上下をやさしくおさえてとじ、反対の手の指で、はらをそっとなでるようにしで、3〜5pぐらい胃の方へうつしてやります。
 あとは自分で、胃へ運ぶまでそのままにします。それをとらえて1週間ぐらいまでに始め、3〜5日の間をおいて食べさせます。
 エサは、ウインナーソーセージでも食べますが、ササミの方をこのみます。
 また、はき出すものについては、くり返しあたえますが、ふつう一週間ぐらいの間をおく方がよく食べ、1回に2〜3こ食べるものもいました。
 11月近くなると、だんだんはき出すも少が多く聴り、11月中ごろでは、ほとんどがはき出します。
(2)越冬
 11月から3月のはじめごろまでは、ほとんど動かず冬みんに入ります。越冬室の室温は、右表の通りです。また、室温は、なるべく自然のままですが、氷点下には下がらないように、十分注意します。冬みん中はエサはあたえす、水を3〜7日に1回とりかえます。越冬5ケ月後の体重変化は、24ひきのうち、ふえたもの11ひき、へったもの12ひき、1ひきは死にました。その後春になり、自分でネズミが食べられるようにして屋外へ放ちます。
9.シロヘビ飼育施設
 昭和59年、岩国市には、山手町一丁目の麻里布小学校そばの屋外し育場と、今津町六丁目の屋内し育場、屋外保護増しょく施設があります。また、観光客などの観らん用施設が、今津町五丁目の寿橋のたもとに作られていました。
 このうち、昭和40年3月に作られた山手町の施設は、古くなって、シロヘビが住むのによくないので、昭和48年11月から作りかえ、前よりも広いものを作る工事が行なわれました。(昭和49年3月完成)その時、場内にいたヘビをつかまえました。冬みんに入ったばかりの数十ぴきをとらえました。そして、すべての施設をこわし、土地をならし、新しい施設ができあがりました。
(1)山手町一丁目屋外し育施設
 昭和49年3月に完成した屋外し育施設で、高さ1,2mのコンクリートのかべで囲まれた面積440uの広さです。
作られた当時は、内部が、親ヘビ室、子ヘビ室、病気のヘビ室の3つに区切られていましたが、後に子ヘビ室がせますぎるので、親ヘビ室とのさかいは、とりのぞかれました。
 中央部には、高さ2mぐらいの大小の山があり、上部はしばふでおおわれていますが、内部は、かわらや岩を組んで、シロヘビの生活にてきした作りになっています。また、内部へ通じる出入口として、土管も数ケ所うめられています。また、ふじだなや低木、草ぶきの小屋など、木登りや日なたぽっこ、暑さよけなどのシロヘビの習せいを考えて作ってあります。
 周囲には水路がめぐらされて、飲み水として、また、水あび用として考えられています。上部は、ゴルフ用ネットで高く囲んであります。外てきのトピなどから守るためです。作られた当時は、大小あわせてて、150ひきぐらいのシロヘビがいたそうです。

(2)今津町六丁目し育施設
 天然記念物である「岩国のシロヘビ」を、しょう来も守り育てていく目的で、昭和58年8月に完成しました。
 ここは、天神山のしゃ面を利用した屋外し育施設と、生後2〜3年までの子ヘビを人工的にし育管理するための屋内し育施設に分かれています。
ア。屋外し育施設
 まわりを50pあまりの低いコンクリートのかべで囲まわれているので、風通しは良く、ヘビがにけないよう細かい目の金あみでおおわれています。また、かべには、ヘビが上に登れないように、弱い電流が流れるしくみもあります。場内の外まわりの南倒には、水路があり、たえず交かんする清流と、ため水の2つの部分に分かれて、中央には、池があり、水生植物が育っています。ヘビのかくれ場所として、石だけの山と、草木が植えてある場所があります。

イ..屋内飼育施設
 この建物は、鉄きんコンクリート作り2階建で、広さは、240uです。この施設では、生後2〜3年までの子ヘビを人工的にし育管理するための施設で、年間を通して、温度などの育成かんきょうを変えられます。
 これを作るため、国、県、市がお金を出して、およそ4600万円かかりました。
 1階は、主に子ヘビの飼育室で、2階は、エサのネズミをかう部屋と病気のヘビを入れる部屋に分げられています。
 このネズミは、シロヘビの大きさによって、生まれたばかりのネズミ、1週間目のネズミというようにして、エサにしています。
 子ヘビの飼育室には、2年までの子ヘビが、約120ぴき、それぞれ1ぴきずつし育はこに入れてあります。
ウ.子ヘビのし育
 し育ばこの大きさは右図の通りで、子ヘビの大きさにあわせて、3種類あります。
 はこは、木ばこで、前面は、ガラス戸、後面は金あみです。内側は、底に水をよくとる紙をしき、植木ばちの一部をかいたものをさかさまにしていれ、かくれ場所にし、水入れ置いてあります。
 ここでは、生後2年間し育し3年目に屋外に放ちます。それまでに、冬みんする期間をのぞいて、およそ1週間に1度ぐらいのわりあいでエサをあたえます。
 生後1年目の子ヘビには、生まれたばかりで、人間の子どもの小ゆびほどのネズミを、2年目の子ヘビには、生後1週間目ぐらいのネズミをあたえます。
 エサを、部屋の内にもっていくとにおいでわかるのか、はちの中からゴソゴソ出てくるものもいます。ガラス戸を開け、ピンセツトでネズミのシッポをつまんで、はちのあなの上にもっていくと、あなから顔を出し、とびつき、かみつき、はちの中へひっぱりこみます。
 エサを2週間食べないものは3週間目に、むりに食べさせます。
 係の人は、定期的に子ヘビの食べる量、体重、だっ皮などの記録をとり、成長の様子に気を配り、見守っています。
 3年目になったメスは、はこの中で、もう、たまごを生むものもいますが、まだ、子ヘビは生まれません。
 3年目の健康でよく成長した後、屋外飼育湯に放ち、自然の中で生活さぜます。
(3)シロヘビ観らん施設
 今津町五丁目の寿橋そはに、シロヘビの観らん用施殼があります。これは、昭和30年4月に、岩国市のシロヘビ保護に努力するとともに、シロヘビの学術的ねうちを、広く世間の人々に、みとめさせようとして作られました
 昭和40年になってから、シロヘビ保存会を財団法人として、その活動はさかんになりました。
 ここでは、年間を通して、いつでもシロヘビが見られ、毎年、多くの観光客が、足を止めてシロヘビを見に来ます。
 また、幸運をもたらすといわれるシロヘビのぬけがらの入ったお守りも売られ、シロヘビ神社、弁財天様として祭られています。
10.野外で見られる様子あれこれ
(1)トグロをまく
 あたたかい日によく見られます。しばふの.上、むしろの上などで休んでいる様子です。
古い家では、台所の下の土間でも見られます。
 まき方は、いろいろで、右まき、左まきなど4種類が考えられますが、どの場合でも、頭をうずの中心にもっていきます。
(2)水のみ
 30℃をこえるような暑い日には、すから水を飲むために出てきます。水面にそっと口をつけて飲み、終わると、すにもとるものがほとんどです。
(3)水あび
 水泳とちがって、薯い日や、脱皮前には、体温調節と、ぬぎやすくするために、水の中
に入って、じっとしています。その様子から泳ぐことはありません。
(4)水泳・せん水
 暑い日には多いが、暑い日に限らす、水の中に入って泳ぐことがあります。体温調節な
どもありますが、よそへ行く時にも泳ぎます。また、水中深くもぐることもできます。
(5)木登り
 市内の民家で発見されるのは、木に登った時が多いようです。庭の木に登って下方のエサにおそいかかるのを、よく見かけます。
(6)ケンカ・イカク
 アオダイショウに比べて、ふだんはおとなしいけど、エサがある時は、うばいあったり、エサをくわえているヘビの口あたりに、かみついたりします。
 また、敵(人間でも)や、見なれないものが近づくと、シッポ(尾)を、ビリビリふるわせて・いかくします。また、だ液をはきかけることもあります。
(7)アクビ
 人間だけでなく、犬やねこ、馬などの動物にも見られますが、シロヘビも、ねむい時には口を開けて、大きなアクピをします
 このように、シロヘビも櫓の動物とにたところがあります。
 また、シロヘビは、近眼らしく、風下から、すぐそばまで近よっても、気づかないこともあります。ただ、においには、非常に敏感です。
11.老婆(明治31年生まれ)の話
 中津町の、よくシロヘビの姿を見かける家の、87才になるおばあさんが、その家の歴史やシロヘビについて、次のような話をしてくれました。
 この写真の家は、昭和のはじめごろ建てられたもので、以前はワラぶきの家でした。
 そのころの家業は、家のまわりの畑や、今の飛行場にあった広い田をたがやしていました。また、カイコを飼って生活していました。
 先祖が川下にうつり住んだのは、今から300年ぐらいむかしで、最初に7家族が、今津川方面から川をわたって来たということです。
 大平洋戦争が終わるまでは、米作りや、カイコをかうことがさかんでした。
 大正末期にワラぶきの家がせまいので、木造2階建のカイコ部屋を作りました。それから4年後にワラぶきの家はとりこわして、木造の家を建てました。カイコ部屋は、1階も2階もカイコを飼っていましたが、いそがしい時には母屋でもカイコを飼うこともありました。
 シロヘビはワラぶきの時も、木造になっても、天じょうののきや、庭本の上、畑の中、石べいのあななどで、よく見かけたもでした。とくに「のうjの中にたくさんいました。
 そのころ「のうのワラ」は、 ふろをわかすためのたききで、大切なもので、毎年3つも4つも作りました。時には下(川下の下)の方から、ワラを買いに来る人もありました。そのワラがシロヘビはすきなようで、ふろのそばの小屋に入れたワラの上にも、もぐりこんだり、時にはトグロをまいたり、また、となりの台所の洗い場の土間にもいました。
 昭和のはじめころ「天じょうに上げておくからもらいたい。」とわざわざ取りにくる人もいたそうです。
 また、こんな話も聞きました。
 ある時、石がきの中から尾を出していた子ヘビを、老人がとり出そうと、シッポをひどくひっぱったけど、出なかったそうで、その後は、長い間シロヘビを見たことがなかったそうで、ひどいことをすると、シロヘビもちゃんとわかって、出なくなるんじゃと。
 また、近くの人がアオダイショウをころして間もなくねつき、長い間、とこについていたと。ヘビをいじめたり、ころしたりすると良いことはないものじゃ。
 この話は、先祖からいい伝えられたシロヘビやヘビに対する迷信のようですが、当時の人々にとって、シロヘビは、人間の役にたつ有益な生き物だから大切にしていかなくてはならないという生活の知恵であったかもしれません。
 大正時代から、昭和30年代ころまでは、シロヘビの住めるかんきょう(家や畑や自然〉がたくさんあり、シロヘビも現在よりもたくさんいたことでしょ'5。
 シロヘビが少なくなった原因は、シロヘビがたまごを生む場所が少なくなったからでしょう。
 シロヘビはたまごを生む場所は水べりの石がけなどのしっ気の多いい場所です。それがコンクリートかべにかわり、たまごを生む場所がなくなったことが原因のようです。
12.シロヘビのみなもとを考える
 シロヘビが最初に発見されたかを考えてみましょう。
まず、古文書を調べると、シロヘビが最初に出てくるのは、今からおよそ250年前に書かれた「岩邑年代記」で、今の横山三丁目の千石原付近です。当時(1738年)は、今津地区が、まだ海に面した港で、川下も現在のおよそ3分の1(中津跡から川下跡付近〉しか干拓されておらず、麻里布地区や立石地区、川下の大部分が海でした。
 それで、川下や今津地区に、干拓直後、シロヘビがたん生したと考えるのは、少し無理で、むかし、書物に書かれているように、今からおよそ、380年前、関ケ原の戦いの後岩国へ移り住んだ、十七代藩主吉川広家が、錦見一帯で米作りに努めたころ、多くの米倉の中で、ネズミをエサとするアオダイショウが、色素細胞のない変りもので、色の白いことが、い伝するようになったヘビが生まれてきました。このめすらしいシロヘビを有益でかつおとなしいことから、当時の人々が、家の守り神のように保護してきたと考えられます。
 そして、干拓され米倉の立ち並んだ、今津や川下地区の人々がネズミ退治のため、持ち帰り、放って増えたものと思われます。
13.シロヘビの新しい観覧施設
 今津町六丁目の飼育施設の所に昭和60年6月に寿橋の所にあっ魔設が移転完成しました。また、昭和61年3月に横山に新しい施設が完成し、観光客によろこばれている。
あとがき
このたび、「岩国のシロヘビ」の本を発行することになりました。
この本はみなさんが住んでいます岩国市に、昔から、白いアオダイショウが生息しています。特に農家の人々は、
家の守り神として、大切に保護してきました。
 ところが、自然環境が変化して、シロヘビが大変少なくなりました。
 みなさんは、この本をつかって、天然記念物の「岩国のシロヘビ」の姿を科学的に知ってください。
そしてこれからシロヘビを、家の近くで発見したときは、その付近はシロヘビが生息するのに大変よい自然が
のこっているのですから、大切にしたいものです。
この本を作ることに、協力・援助くださった岩国市・岩国市教育委員会・白蛇保存会・執筆くださった先生方のご苦労に
心から感謝します。
岩国シロヘビ研究会    
 会長 岩崎 利夫